ここはインターネットですから。
ここはインターネットですから。
インターネットが好きでよくインターネットにいる。面白いこの世界。
そうインターネットは世界みたいなものだ。
例えば、ここの場所をカテゴライズすると
であり、私がよく居るTwitterは下記になる。
これを比喩するのであれば
SNSが国、Twitterが都道府県、その中で椎名林檎のトークをメインとする村。
(はてな村って言葉があるように)
なぜ、比喩の仕方が領土なのかというと。
其処には人がいて、コミュニティーが存在するから。
仮想世界インターネットだけども此処には人がいる。書き手がいる。Logがある。
「インターネットでしか知らない人」なんて沢山いる。けれども、毎日その人が呟くことや上げる写真でその人を身近に感じる。その人の名前も顔も声も何も知らないのに。身近に感じるこの現象は何とも言い難い。一方で「インターネットで知られてる」場合もある。何かを通じて見たことある。WEB上での直接的な関係が無くても。これまたとても不思議な感触。同じ時間、同じツールを使っているからこそ知り合える関係。なんて希少。
「インターネットを通じて現実に会った人」もいる。インターネットを通じて会う人はきっと好きなモノやコトが一緒で生まれるコミュニティーの人だろう。誰だってそうだ。趣味が合う人、自分の好きなことを肯定されたい気持ちや、好きなモノを話したいだろう。情報を共有をしたいであろう。WEB関係の延長上に現実でも会うことがあるのだろう。好きなもとを共有できる人を探すツールとしてはSNSなんぞは最高に手軽になった。
例えば、私のTwitterで『紫色のマット グラデーションになった』と言えば、それが【果物の部屋】だとわかる人はきっといるだろう。だがしかし、果物の部屋の話を出来る人を現実の世界で見つけるのは酷く困難なことだろう。インターネットの検索によって果物の部屋をわかる人はグッと簡易的に探せるようになった。なんて便利な世界。人間できるなら好きなことを好きな分だけ話したい。其れが許されるインターネット。なんてありがたい。なんて素敵なんだ。その上、文章の書き方、変換の癖、句読点と其れだけでも多くの人柄が垣間見れる。好きなだけ好きなことを書けばいい。興味が無いものは見なければ良い。興味があれば反応すればいい。ここはインターネット。好きにすればいい。使い方なんて自由なんだから。
しかし、インターネット上の関係は尊い。いつもいる人が突然いなくなる事もある。もう辞めるという人もいれば、何も言わずに姿くらます人もいる。いつものコミュニティーにいつもいる人がいなくなっている。この経験は何度もある。好きな人が急にいなくなると少し寂しくなる。切ないインターネット。名も顔も知らぬ人は追うことが出来ない。理由があるなら転生ID(また別な名前でやり始める)として戻ってきて欲しいとは思うが、やるのもやらぬのも自由。強制なんてない。それがインターネットコミュニティーの良い所だから。行き交いが激しいのもインターネット。消えた人と会うには同じ場所で待つしかない。来ないとわかってても。仮に戻ってきていても転生IDです。なんて言われないと気付きようがない。モーションかけられれば、また繋がる関係もあっても。
“おかえりなさい”って再会することもあれば、“はじめまして”と再会することもあるでしょう。再会も出来ずに中々もう出会えない人も多いでしょう。そして消えた人を待ちながらも、もしかしたら勿論私自身が此処からいなくなる事もあるけどね。
其れがインターネットコミュニティーだから。
主に椎名林檎の事ばかり呟いてるアカウントはこちら。
一ミリの後悔もない、はずがないを読んだ。
椎名林檎の世界観って『女性としての性、そして生』って勝手に思ってるんだけど。どう( 'ω')? 女性としてのセックスシンボルと、荒々しくも儚い。時に計算高く洗礼されてる、孤高の生き方。って所かなと。
— yung (@yunglog0) 2018年2月3日
モンスター 【03】
狂人、といえば済む。しかし、ある意味では納得できる人生を送ったのではないか。ここまでの強い気持ちを持てることこそが人間の根本の欲求解放だ。
モンスター 百田尚樹
ざっくりのあらすじは、田舎町で瀟洒なレストランを経営する絶世の美女・未帆。
彼女の顔はかつて畸形的なまでに醜かった。周囲からバケモノ扱いされる悲惨な日々。
思い悩んだ末にある事件を起こし、町を追われた未帆は、整形手術に目覚め、莫大な金額をかけ完璧な美人に変身を遂げる。そのとき亡霊のように甦ってきたのは、ひとりの男への、狂おしいまでの情念。
小説はあまり読まないけれども。これまた偉い作品だ。テンポよく読めて500ページ強ぐらいあるが3-4時間で読めるし気持ちが良い。内容は賛否両論だとは思うけども、美に対する執念が美しく儚い。「奇麗になったら幸せになれるのか?」が本質的な内容。これはこれで一つの正解だろうし。良い結末。女性が美に取りつかれることは歴史上普遍的な欲求なことは証明されてるし、求めれば求めただけリターンは生まれるものだしきっと楽しいだろうな。
「男は目でセックスする」って言葉が出て着た通り。見た目が良ければ選ばれることも多くなる。モンスターと呼ばれていた人が誰もが羨む美女になるまでにいくつもの選ばれるシーンがあるのだけどその過程が面白い。主人公は歪んでいるけども、それは逆に誰よりも純粋なのかもしれないね。
美しさは時に女性も男性も狂わすのね。
整形が仕上がった姿が美しいじゃなくて、其処までの振り切れる思想と行動力が最も美しいと感じたけどね。そして男を狂わすことが出来る女の人ほんと好き。主観です。
ユニクロ潜入一年 【02】
This is “大人の喧嘩”
This is って言うと向井秀徳が出てくる気持ちは置いといて。
真っ先に受けた印象は《大人の喧嘩》と言うイメージ。
ユニクロの柳生さんが『うちで働いたことがない人こそブラック企業と言う』ならば『働いて見ようではないか』そこから始まるジャーナリズム本。
ジャーナリストとして本当に素晴らしい行動だと思う。
だかがしかし、この本一つではユニクロを倒すことはできにない。
本の内容としては、本当にユニクロがいかに過酷の労働環境であるか伝わる。アルバイトを上手に使う。否、上手ではない。主婦と大学生を使うことで賃金と勤務時間を下げる。けれでも正社員制度を使うことで甘い蜜も渡す。しかしながら、正社員になればいいのか。と問われる様な内容であった。格安システムには必ずカラクリがある。ユニクロの安さは過剰なほど削りにいく、人件費と製造費用。それは国内国外に自社で働く人に歪みがきている。
そして柳生社長のワンマン経営が暴かれる。言葉の矛盾。洗脳。圧倒的なボスマネージメントである。
ユーザーとして、ユニクロはあれだけの低価格で衣類を提要してくれるのは大変便利でありがたい企業だと思う。また、国単位で見てもあれだけの雇用を生み出していることは素晴らしいことだ思う。
その反面、自社で働くスタッフが全く幸せになれなていない・・・・。ユーザーファースト。利益に追求。それに特化し、社員の手当は二の次。賃金も少なく、労働も激しい。けれども、時間は思いっきり削られたり、伸ばされたり。
働くスタッフはここで何を見出すのか?
守るべきを追求はスタッフ。その先にユーザーではないのか。
あまり気分が良いものでは無いが。
光と闇ということ知れて損はない。
願わくば、ユニクロで働く人がもっともっと良い環境下に導かれます様に。
減らす技術 新装版【01】
『本当に必要なモノを何個言えるか?』
減らす技術。
余計なものを減らしてシンプルにする。
たった、それだけのことに途方もない底力が潜んでいる。
なんてことない其れだけの本。
この本が好きで何度か読み返している。今年の一冊目も読んでいた。
減らす技術にはかなりの本質を見抜く力量を試される。
生きる上で必要なモノなんてそんなに無いし。
自分にとって何が大切か考えたらもっともっと楽に過ごせる。
そもそも『どう生きたいか?』が問われるような内容だ。
この本は主にタスク管理のことであって、物質的なモノの減らす事では無い。
情報化社会で何に時間を使うべきなのか。ってね。
出来るだけストレスがかからないで過ごしていきたいけど。
そうもいかない。
そんな人が読むと良いかも。
余談だけど、物質的にも減らしまくると心が軽くなる。
必要なモノがない生活ってオススメ。
身軽になればなるほど心の楽さは比例するよね。きっと。