椎名林檎はもはや教科書だった。
我輩は椎名林檎が好きである( 'ω')
その昔、当時思春期だった私はとっても椎名林檎にハマっていた。
無論、今もハマっている。
椎名林檎の歌詞がルックスや世界観に酔いしれていた。
全てが好きだった。無罪モラトリアムや勝訴ストリップは擦り切れるほど聴いていたし、絶頂集の完成を崇拝していた。
とにかく好きだった。
『好きすぎて歌詞を自分に置き換えようとしてる』
痛い子だった。
否、
『自ら歌詞に置き換えられそうな場面を率先して探す』
かなり痛い子だった。
君のメロディーやその哲学や言葉を守り通そうといていた。
そのくせ、言葉で穴を埋めても 満たされる筈もないと思っていた。
だから、様々な言葉で各々の全てを見極めなくちゃいけないと思っていた。
さめざめ泣いたりしなかった。思想を見抜いて欲しいと思っていた。
唾液を吐き続ける密やかな密やかな行為に専念していた。
退屈が忌々しいと思っていた。
蝉が喚いて夏の到来を知るって何回使いまわしたかわからない。
新宿のカメラ屋さんのい階段を降りた茶店をどれだけ探したかわからない。
教科書の教えの通りに学び、実行していた・・・( 'ω')
極めつけは
『新ウィッス君限定!』
って友人に挨拶したことがある。
どう考えてもそこそこの愛好家でないと伝わらない( 'ω')!!!
案の定、友達にはポカ〜ンとしていた。
友達『おはよっ〜!』
( 'ω')『新ウィッス君限定!』
友達『???』
・・・友達は何も悪くないよ。。どうかしてんだ。
『もしも愛なんて呼んでいなくて信号という解答であなたを誘い出しても変わらないかな?』
と恋人に尋ねたことがある。
案の定、恋人には『どうした?』と言われた。
( 'ω')『ねぇ、もしも愛なんて呼んでいなくて信号という解答であなたを誘い出しても変わらないかな?』
恋人『・・どうした??』
・・・恋人は何も悪くないよ。。どうかしてんだ。
も う 病 気 だ よ ! !
今思うと凄い。
それでも当時はこう思っていた。
『僕は何処迄も真摯なんだ 至って普通さ』って。
全 然 普 通 じ ゃ な い ! ! !
これが俗に言う思春期特有の『思考的言語的洗脳林檎病』ってやつだ( 'ω')
きっとこのブログにたどり着いてきた皆様方も一人や二人は感染した方々がいつのではないだろうか?( 'ω')
今では大分その病気は落ち着いてきている。
それが寂しくもある・・・( 'ω')
もう大人だからむやみやたらに思考的言語的林檎病を発病させるべきではないと思っている。
長くなってしまったが、少しでも共感を得る人がいれば此の上無い幸せです。
本日書きたいことは以上です。それでは最後の挨拶で失礼します
( 'ω')『新ウィッス君限定!』