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椎名林檎とインターネット。

一ミリの後悔もない、はずがないを読んだ。

一ミリの後悔もない、はずがないを読んだ。
 
 
 

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憤慨してる。
一ミリもの後悔もない、はずがない。を読み終えた。
椎名林檎が『私が50分の円盤や90分の舞台で描きたかった全てが入っている。』と絶賛のレビューを書いたからこの小説を購入した。
この文章を読んでいる人には同じ動機の人もいるでしょう。
 
 
落胆してる。
読み終わった感想としてはそれに尽きる。
端的に言えば私には全くもって椎名林檎らしさを感じられなかったからだ。
何故椎名林檎が絶賛するのかわからなかった。
 
 
 
全くもってこの作品から椎名林檎の世界観を結びつくものが見つからなかった。
故に、この広告の謳い方に憤慨していることになる。
 
有り余るぐらい椎名林檎が好きな私はそのコメントだけで高揚した。
 
 
今までの椎名林檎は50分の円盤に収めるにあたって、すべて色が違う。
 
若さという鮮度が溢れる無罪モラトリアム。
荒々しく性と病を掛ける勝訴ストリップ。
狂気的なエモーショナルの絶頂集。
和と闇、林檎文学の進化を見せた加爾基 精液 栗ノ花。
6年ぶりの復活劇三文ゴシップ。
不退転の決死で作り上げただろう一大ポップスアルバム日出処。
 
椎名が50分の円盤に託す思いや感性は毎回違う。それが良い。そして全て好きだ。
 
 
だからこそ、レビューに書いた50分の円盤に描きたかった。
という椎名の感性を味わえるが楽しみで仕方がなかった。
どの円盤のことなのだろうか。
はたまたこれから作り出そうとするまだ見ぬ円盤のことだろうか。
 
 
けして、一ミリの後悔もない、はずがないの内容における批判がしたいわけでは無い。
繊細な描写や心理、などこの手の小説が好きな人も多いでしょう。
主に男と女の話ではあるが、其処に私が感じる椎名林檎らしさが見つからなかったってだけの話。
 
「西国疾走少女」
「シオマネキ」
「潮時」
「穴底の部屋」
「千波万波」
の5つからなるストーリー。
少しずつ登場人物が被っているという面白い視点の小説。
 
 一体、このストーリーの誰に何処に椎名林檎は共感を得るのだ?
青春時代に最愛の人を見つけた由井に?
色気としか呼びようのない何かを持つ桐原に?
ミカに?加奈子に?高山に?加奈子に?
それとも河子の視点で?
 
桐原に会うために疾走しているときはいつも、命を生き切ってるというような実感とかに?
 
 
全然わからないな。
椎名林檎の描きたかった全てが。
 
 
 
 
 
少し思考を巡らせれば、新人の作家さんに突然椎名林檎が推薦文レビューを書くなんてどう考えても広告マーケティングだ。
 
 
いくら積めば椎名の言葉がもらえるのかは知らないが。
少なくてもこのプロモーションに引っかかってる一人としては有効打を打ててると思う。
故に本当に好きな人へは諸刃の剣として帰ってくる。
 
 
 
 
 
新潮社のプロモーションとして椎名林檎の言葉を貰うって戦略は有効であろう。
椎名林檎ってブランド名を通じて売上に通じるのもわかる。
一木けい氏が椎名林檎を好きなのも伝わる。
 
 
 
 
 
しかし、椎名林檎が描きたかった全てとはなんだろうか。
椎名林檎の世界観のことだろう。
 

 

 
 
呟いたように考えてる私には、この思想とこの小説がリンクしているようには感じられなかったな。
小説の中の人たちは椎名林檎が打ち出してる感性と同じに感じれない。誰一人。
また、全体を見渡しても1冊ストーリーと円盤のストーリーがリンクすることも感じれない。
 
とはいえどもアーティストが魅せる世界観をどう感じるかなんての解釈はリスナーの自由だし。
本当にアーティストが伝えたいことのなんての正解なんて確かめるすべもないのも事実。
 
 
 
本当に椎名林檎が絶賛してたのか?と疑いの眼差しがかかる。
絶賛していないなら言葉は嘘になるのが悲しいし、新潮社に踊らされたことになるね。
 
 
 
 
言葉がリップサービスなのか、絶賛する椎名林檎の気持ちを私が理解出来ないだけなのか。
 
 
 
 
 
言葉は想いであり、重い。
好きな人の言葉であればなおさらだ。
 
 
 
 
『椎名林檎が絶賛』っていうフィルターを通さなければ。
 
 
 
 
 
 
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