転職における技術力が高いのに採用されないというケースがある。
転職は出会いだと思うという話。
時期とタイミングと求職者と採用者のね。
絶頂集はヤバい。
スタバで椎名林檎を聴きながらゆっくりしてた。なんの変わりのない、いつも通りの日常だ。
隣の席には女子高校生3人組が座っていた。問題集をひらいみんなで勉強したりキャッキャしている。これもよくある光景だ。なので私はとくに気にせず、椎名林檎を聴きながらブログを書き続けていた。その時絶頂集が流れていた。やっつけ仕事が終わった瞬間だった。
絶頂集の曲と曲の合間に聞こえてくる女子高校生の会話が気になって仕方がない。
「このプラぺ、マジでヤバくなぁ~い?↑↑」
「マジ、ヤッバッ!めちゃヤバじゃんッ!!」
「650円もしたのもヤバイ」
「ヤバいね~今月バイト少なくてヤバいのに~。」
「このラテ、熱すぎてヤバイ~無理ぃ~」
会話『ヤバい』で完結させすぎじゃなりませんかね?
2017年にもなるともしかして共通言語変わってたの?
日本語の簡略が進んでたの?
気になってしまい、うっかり「ヤバイ」をググったら出た画像がこちら。
即ち以下の通りで通りである。
「このプラぺ、マジでヤバくなぁ~い?↑↑」(味:おいしい)
「マジ、ヤッバッ!めちゃヤバじゃんッ!!」(味:甘い、おいしい)
「650円もしたのもヤバイ」(価格:高い)
「ヤバいね~今月バイト少なくてヤバいのに~。」(状況:厳しい)
「このラテ、熱すぎてヤバイ~無理ぃ~」(温度:熱い)
Oh......
女子高校生の情報認識処理速度早過ぎませんかね。
会話のテンポも速い。
これを瞬時に理解しているならもはや脳のCPU処理速度が私とは別物だ。
これが現代の日本語であり、それ処理するスペックの高さが現代人なのか。
冷めたコーヒーを飲みながら如何に私が旧式モデルか思い知らせてた。
・・・・・・・・・・・( 'ω')
絶頂集、マジヤバイ。椎名林檎の荒々しくて生々しいあの感じがマジでヤバイ。一曲目のやっつけ仕事のギターのイントロからヤバイし、歌詞もヤバい。「興味や関心を奪う程合う辻褄 或いは目合いを以て営んでなんて目論んで居ないか」って言いきれちゃう椎名林檎がヤバい。そもそも虐待グリコゲンがヤバい。ギャンブルとか生み出してくれて圧倒的な感謝がヤバい。メロウもまたヤバい。警報音から始まるメロウヤバい。イっちゃってる感じがヤバい。「意識は希望に素直じゃない」ってヤバイ。けれども絶頂集は発育ステータスも中々、ヤバい。乙女の不安や憤怒の思いが爆発している発育ヤバイ。はいはいの歌詞の緩さがヤバい。光合成とかさっぱり意味が分からないのに格好良いからヤバイ。つまり絶頂集はヤバイッ!!
このブログはあくまで絶頂集の良さを伝えるブログです。
さて、私は一体何をやっているのですかね
加爾基 精液 栗ノ花は異常だ。
今日も日常の所作のように椎名林檎を聞いてる。久しぶりに聞こうと思った。加爾基 精液 栗ノ花を。2003年5月27日に発売されてたんですね。14年か。歳月人を待たず。今日の文章も中身はない。お暇な方だけお付き合い願いたい。
無罪、勝訴を椎名林檎を追いかけてきた私には加爾基 精液 栗ノ花は異常だ。まずタイトルが異常。
【漢字二文字+カタカナ】のセオリーを崩された。
そしてこれまた、ド直球の言葉で官能的表現をしてきもんだと。とは言え、活動休止からの復活一発目のアルバム。たかだかいつも通りのタイトルセオリーから外れたぐらい、CDのアートワークが雰囲気が違うぐらいでは動じるわけにもいかない。
心して待っていた。当時の椎名林檎のネットページを見てやつつけ仕事って曲があるけどこれはやっつけ仕事とは違う曲なのか?高揚した気分を覚えている。
そして発売日にCD買ってみたら、アルバム全部聞くのが辛かった。本当にショックだった。もはや今までの椎名林檎は居ないじゃないか。
なぜ椎名林檎は加爾基 精液 栗ノ花を作ったのか。何を目指していたのか。何を表現したかったのか。リアルタイムではさっぱり思考と思想がついていかない。当時アルバムを聴いた感想は「暗い」「沈む」しかなかった。我ながら、なんという感情表現に対する語彙力の無さ。当然ながらやや負の感情から始まる加爾基 精液 栗ノ花。絶対好き嫌い別れるよね。椎名林檎の作品っていうだけで聞き続けてはいたけれども。
椎名林檎の新しい音源と久々に再会した私が期待に裏切られるあの悲しさ。
あの頃の荒々しいく生々しい椎名林檎はもういない。
私は依存症やモルヒネやメロウが好きだった。
無罪も勝訴もとても良い作品だった。
甘酸っぱい無罪と大人になり始める勝訴。私はその両方を気分によって聞き分けていた。
そこに現る加爾基 精液 栗ノ花。これ、一体いつ聞けばいいのか。しかし椎名林檎は椎名林檎ではないかという葛藤。
嘆いてばかりいた。今でも初めてCDをかけて宗教が流れたことを今でも鮮明に覚えている。
え。一曲目から琴の音色?
ギターかき鳴らす椎名林檎は何処へ。
と思っていたけど。
実際は「加爾基 精液 栗ノ花めっちゃいいよね。」って平気で言うモラトリアム世代。
「あー。やっぱりわからないかぁ。加爾基の音楽性は難しいもんねー。私はいいと思うけどね」って言いだす始末。
当の本人も本当は良くは思っていない。
しかし、建前上椎名林檎の作品を否定するわけにはいかない。
というか当時15の小僧が加爾基 精液 栗ノ花の良さを初見から完全に理解し切れたらどう考えてもおかしい。
とりあえずグレッチで殴って欲しい。
なんのマウンティングだ。
今すぐ無意味な背伸びは辞めろと説教したい。
しかしながら、椎名林檎聞いてるような奴は大体早熟だ。背伸びしたい。背伸びしなくても加爾基の良さに気づく日は必ず来る。作品を消化できる日は来るって言いたい。
今思えば、あんなに歌詞カードをじっくりに見ながらCDをかけてたのは最後のアルバムかも知れない。アーティストの作る音楽を理解したくて、ジャケットを見て、フォントや文字の配列などでアークワークの雰囲気をつかみ、Special Thanksの所まで一文字も逃すことなく歌詞カード眺めながらCDを聞いてた。アーティストを。椎名を。加爾基を理解したい。の一点張りで。
今ではCDを買わなくてもYouTubeがある、Apple Musicがある。歌詞はネットに落ちてる。モノがなくても知れる。利便性が強くていい時代じゃないか。けれども、毎日毎日CDをわざわざプレイヤーに入れて歌詞カード開いて聞き、色んな思考を張り巡らせるあの感触は紛れもなく私にとって良い経験だった。
故に加爾基で離脱しないでずっと好きなのかもね。離脱した人も多いでしょう。新たな椎名林檎の女性としての性がここにはあった。今では加爾基 精液 栗ノ花は間違いなく名盤だと思ってる。最初から最後まで素晴らしい。歌詞も音色も表現の仕方がすべて素晴らしい。胸に刺さるワードが多い。
「隣の芝 青く見えたら出来るだけ睡るのさ」とか「頭が有れば要は簡単に片付いて」とか行動の心理を突くような言葉が好きだ。「憂き世に居た堪れない悲劇が溢れたとしやう 大人だから今日はまう唄ふ位 笑う位許してね 守るものは護るさ」とかとても好きだ。
暗くて明るい真理を描写する椎名林檎は表現方法を変えただけ。ただ、それだけ。
なぜ椎名林檎は加爾基 精液 栗ノ花を作ったのか。はこちらのブログを読むと宜し。りゅーまちさんのブログは私とは違う角度で書いております。
レディオヘッド(トムヨーク)論を唱えてるこちらもオススメ。
今だからこそ思うことだけど、無罪と勝訴であれだけ売れていきなりスタイルを変えて、自分が良いと思う感性について来れないようなリスナーは要らない。みたいなスタンスこそが私が一番求めていた『荒々しい椎名林檎』だとね( 'ω') 最高だね。
今日も聞いてる。椎名林檎の勝訴。
朝起きたら雨が降っていたから。
肌寒くて、間も無く冬が来るって感じたから聞き出した。勝訴ストリップは、なんとなく寒い季節が似合う気がしたから。1曲目から順番に聴きながらダラダラとブログを書くとする、中身はない。お暇な方だけお付き合い願いたい。
勝訴ストリップは2000年3月31日にリリースされた。もう17年前だ。リアルタイムで聞いてた頃いったい私は何をしていただろうか。多分鼻を垂らしていた。それくらいまだ青みがかった年齢だった。時の流れは無情。今、鼻を垂らしていたら間違いなく自己管理できていないと見なされる。というか対人する人、全てに引かれる。
虚言症から始まり依存症で終わるこの勝訴ストリップ。このアルバムは『切ない』そして『やりたいことと若々しさ故に大人に対しての反抗感』がぎゅっと詰まっているようなアルバムだなぁ。まぁ、本人が声ヴォイス:椎名“マゾヒスト”林檎小娘って仰ってるぐらいですしね。今でも良いアルバムだなぁと感じるからやはり椎名林檎最高ってなる。名曲多いよね。
勝訴ストリップでシングルカットされて。『ギブス』と『罪と罰』、『本能』売れるには理由があるよね。EMIの力も凄いと思うが本人のセンスが凄い。今聞いても良い。
『don’t U θink? i 罠 B wiθ U 此処に居て ずっと ずっと ずっと 明日のことは判らない だからぎゅっとしていてね』
から
『愛してる独り泣き喚いて 夜道を弄れど虚しい
改札の安蛍光燈は 貴方の影すら落さない 』
『淋しいのはお互い様で 正しく舐め合う傷は誰も何も 咎められない 紐 解いて 生命に 擬える』
までだ。
ギブスから罪と罰までの曲数2曲。圧倒的な成長感を否めない。
やはり椎名林檎凄い。
とわ言えどもギブスはいい曲だ。
『don’t U θink? i 罠 B wiθ U 此処に居て ずっと ずっと ずっと 明日のことは判らない だからぎゅっとしていてね』
なんて言われたら今でも心がぎゅっとなる。切ない。10代じゃなきゃ書けないし感じられない感覚。
青い春が爆発している、けしからん。
10代の男女の関係は直ぐに『絶対』や『一生』など使うし、それを信じてる。筆者だってそうだった。しかしながら椎名林檎もそう言ってるぐらいだし、なんら恥ずかしくもない。今ではどうだ。間違いなく発言に『絶対・一生』など使わない。絶対や一生など無い。故にそれがわかるのは結果論だ。発言には責任が発生する事を知り、リスクマネジメントを覚え、傷を抱えないようにするからだ。安易な発言は痛手を負う。何があったかは聞かないでほしい。
当時はギブスにとても素直に共感していた。今では青春を懐かしむように楽しめる。ギブスは二度美味しいのだ。名曲だ。
問題は罪と罰だ。
『愛してる独り泣き喚いて 夜道を弄れど虚しい
改札の安蛍光燈は 貴方の影すら落さない 』
どうした。完全に男女の関係終わってるよね。もしくはギリギリ保っているのか。2曲前まで、とても素直に素敵に愛情表現して居たのにどうした。限りなく人生経験積んで大人になってるよね。罪と罰作った時、椎名林檎19.20ぐらいでしょう?凄い表現力。罪と罰は大人になった今でも素直に共感できるから凄い。酔っ払って聞くとなお良い。
結果として今日わかった事は酔っ払って罪と罰を聴くと、『マジで名曲過ぎる…あの若さでこの曲作った椎名林檎才能あり過ぎ…最高だ』って事でした( 'ω')フォオオオオヲサスゥゥゥゥゥアサノヤマテドォォォォォリィィィィ。うん。最高( 'ω')
— yung (@yunglog0) 2017年10月11日
先日もフォオオオオヲサスゥゥゥゥゥアサノヤマテドォォォォォリィィィィ↑↑って駅のホームで歌いそうになってた。危ない。歌っていたら社会的に終わっていただろう。危険性が強い。
本能もまた名曲だ。本当に格好が良いって当時も思って居たけど、今でもそう思う。
痛みと深みと真理といろんな感情が含まれてるよね。約束が要らない事から歴史の上に言葉が生まれた理由を解いてしまってるから。果たされないならコミュニケーションツールさえも要らないと。なんというエゴイスト。どう考えても言葉は発展の為に必要だと思ってるけと。この頃から椎名林檎は哲学者なの?やさしい哲学なの?きっと正当な恋仲の関係性じゃ無いからこんな歌詞なんどろうけどさ。力強さと弱さが交わってる繊細な時期にしか感じられないような歌詞で体幹を上手に表現できる椎名林檎凄い。そしてサビが生々しい。
とりわけ目立つのはこの3曲。だけどこのアルバムは『虚言症』も『浴室』も『月に負け犬』も『病床パブリック』も『依存症』も思入れが強くて書きたいことが沢山ある。上げて居ない曲も勿論好きだし。全部書いたら日が暮れる。
なんというか。勝訴ストリップもまた【生々しい女性としての性】を歌ってるよね。其処がとても素敵に見える。生々しさこそがこの頃の椎名林檎の最大の特色だったのかもね。
『既にもう女として生まれた才能は 発揮しているのだけど 脱がせてほしい』
って誘い文句。最高にして最強だと思う( 'ω')
今日も聞いてる。椎名林檎の無罪。
今日聞いてる。椎名林檎を。いつもはテーマありきで文章を書くのだが今日はだらだらと今頭にあることをグダグダに書きたい。そんな気分であるし、時間があるならお付き合い願いたい。
ほぼ毎日聞いているであろう椎名林檎。今も飽きずに聞く。活動の長い彼女だからこそ、今となってはその日の気分でそこはかとない気分も対外気分に合う曲が見つかる。中目黒駅にいるときは『ギャンブル』。何が悲しいかわからないときは『落日』。新宿で豪雨であれば『群青日和』のように。いつも通り椎名林檎を再生していたら『正しい街』が流れた。とても悲しい気持ちになって。そのまま無罪を聞き直すことにして、今この文章を作っている。
『無罪モラトリアム』
もしかしたら、恥の多い人生の中で一番で再生回数が多いCDではなかろうか。
始めていたのは15年ほど前だった。完全に鼻垂れてるような小僧の時期だ。
鼻を垂らすか。椎名林檎聞くか。もしくは椎名林檎を聞きながら鼻を垂らすか。
いずれにせよ。最も甘酸っぱい年齢の時期に聞いてた無罪モラトリアム。想い出しか詰まってない。聞くと色々思い出す。曲を聴いて記憶が戻されるあのシステム。便利な時もあるけど死ぬ程恥ずかしい記憶も蘇る。完全に鼻が垂れてたなぁ。無罪モラトリアムの全てが好きだった。ジャケット。アートワーク。歌詞。歌詞のフォント。曲順。曲調。声。すべて好きだった。正しい街からモルヒネまで好きだった。一言で言うなら切ないよね。このアルバム。全然一言で言える表せるような品物ではないのだけどもさ。
不意に流れてくる正しい街でぼんやり考えていた。
【君が周りを無くした。私はそれをを無視した。】
これは
君は私だけしか、見ていなくて周りもの(人、環境など)も現実も見ないようにしていた。
私はそんな君の思想を、理解していたけど見て見ぬふりしてた。