タイトルは未だ無い。
歳月人を待たず。気付いたら新年になっていた。2018年って数字上にするととても未来感があるが実際には車が空を飛ぶ予定も無いし。周りを見渡してもそこまで物質的な変化も少ない。ITとIoTとAIの発展が目につくだけ。なんせ今日も椎名林檎は活動してるし。このブログは主に椎名林檎の事を無性に描き殴りたくなった時にだけ使っていたブログではあるのだが。今年は別の事も書くことにした。読書メモや仕事のこと。ライフスタイル。ツイッターには収まらない様な事を此処にアウトプットしていこうかと。
年末から活動しすぎな椎名林檎のニュースは日々絶え間なく入ってきて。ブログの記事になる様な事は沢山あるのに。如何せん、椎名の事を書く気が起きない。なんであろう。あれだけ活動を期待していたのに、実際に活動してくれて嬉しいのだが。いつもそうきたか。という活動で。実はあんまり心に刺さってない。
例えば“目抜き通り”曲はとても素晴らしい。トータス松本も素敵な男性だとは思う。昔からデュエットみたいなのもよくやるし。けど、あまりにも商業的過ぎた。後ろの大人が見え過ぎた。曲を出したかったのではなく、曲を依頼されたのだろうなぁ。って銀座SIXに。そして電通に流れた。それが椎名林檎に来た。そしてキャバレー風に仕上げて、来るべき自分のキャバレー作るときのポートフォリオやG SIXを彼処まで盛り上げたアーティスト兼文化人として、紅白やオリンピックへとの作品となる。そんな大人の事情や見えたり憶測できてしまうから寂しい。いや、でもとてもイントロとか好きなんですがね。でもそこまで聞き直したりしていないのも事実。
例えば“逆輸入”とっても嬉しいアルバム発売。45分越えの椎名林檎の作品をどれだけ待ち焦がれたか。しかし、実際にはセルフカバー。セルフカバー・・・セルフカバー・・・嬉しいけど。寂しい。人にあげた作品を結局自分のものにしちゃう。椎名林檎の曲にすればかなり椎名林檎らしさに溢れるのだけど・・・。此処で少女ロボット出すのも嬉しいけどズルい気もする。主観だけどね。最果てが見たいは最高に好きだ。
とは言えども、“椎名林檎”が活動してくれるだけでも十分嬉しい。いつまで活動なさるかは未定ではあるし。ツアーをこれだけ大々的にやってくれるのも嬉しい。どんな活動で嬉しいと感じさせるなんて罪な女だよ。椎名林檎は。
と。
結局椎名林檎の事を書いていしまったけど。
本題は今年の目標で“年間50冊の読書”と“丁寧な暮らし”って決めたので。そんな雑記が今年は少々増える記録になりそうです。なんでわざわざ抱負を書くかって?自分への戒めと達成できなかった時に誰かに尻を叩いて貰うためだよ。
それに伴い、椎名林檎以外のことを呟く主に読書Twitterアカウントも作ったので興味ある方は名乗り出てください。尻を叩きたい人も募集してます。それが本日言いたいこと( 'ω')
【2017年買って良かったモノ10選】
ーアパレル編ー
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ガジェット編。
シンプルで魔法のようなワイヤレス。
AirPodsはヘッドフォンの使い方を永遠に変えます。
課金したアプリ編。
Evernoteをプレミアムプランに課金した。Evernoteは私の第二の脳となり、これでもう記憶に頼るのは辞める。仕事でもプライベートでも使用し膨大な情報もここに収め、脳内の思考を全てアウトプットしていく。即ち、誰かに見られたら死ねる( 'ω')
— yung (@yunglog0) 2017年8月26日
ー日用品編ー
こんな感じ↓
今日は朝からALAKA農園のSUN DRIEDを豆から挽いてプレスで淹れて頂く。ほどよい酸味と舌に残るアフターが華やかでとっても美味しい( 'ω') 新年度という事で朝から贅沢な珈琲で気合い入れてく。美味しい珈琲は1日の始まりを軽やかにするなぁ。#ALAKA農園 #プレスコーヒー pic.twitter.com/rjSXzQF7m2
— yung (@yunglog0) 2017年4月2日
転職における技術力が高いのに採用されないというケースがある。
転職は出会いだと思うという話。
時期とタイミングと求職者と採用者のね。
絶頂集はヤバい。
スタバで椎名林檎を聴きながらゆっくりしてた。なんの変わりのない、いつも通りの日常だ。
隣の席には女子高校生3人組が座っていた。問題集をひらいみんなで勉強したりキャッキャしている。これもよくある光景だ。なので私はとくに気にせず、椎名林檎を聴きながらブログを書き続けていた。その時絶頂集が流れていた。やっつけ仕事が終わった瞬間だった。
絶頂集の曲と曲の合間に聞こえてくる女子高校生の会話が気になって仕方がない。
「このプラぺ、マジでヤバくなぁ~い?↑↑」
「マジ、ヤッバッ!めちゃヤバじゃんッ!!」
「650円もしたのもヤバイ」
「ヤバいね~今月バイト少なくてヤバいのに~。」
「このラテ、熱すぎてヤバイ~無理ぃ~」
会話『ヤバい』で完結させすぎじゃなりませんかね?
2017年にもなるともしかして共通言語変わってたの?
日本語の簡略が進んでたの?
気になってしまい、うっかり「ヤバイ」をググったら出た画像がこちら。
即ち以下の通りで通りである。
「このプラぺ、マジでヤバくなぁ~い?↑↑」(味:おいしい)
「マジ、ヤッバッ!めちゃヤバじゃんッ!!」(味:甘い、おいしい)
「650円もしたのもヤバイ」(価格:高い)
「ヤバいね~今月バイト少なくてヤバいのに~。」(状況:厳しい)
「このラテ、熱すぎてヤバイ~無理ぃ~」(温度:熱い)
Oh......
女子高校生の情報認識処理速度早過ぎませんかね。
会話のテンポも速い。
これを瞬時に理解しているならもはや脳のCPU処理速度が私とは別物だ。
これが現代の日本語であり、それ処理するスペックの高さが現代人なのか。
冷めたコーヒーを飲みながら如何に私が旧式モデルか思い知らせてた。
・・・・・・・・・・・( 'ω')
絶頂集、マジヤバイ。椎名林檎の荒々しくて生々しいあの感じがマジでヤバイ。一曲目のやっつけ仕事のギターのイントロからヤバイし、歌詞もヤバい。「興味や関心を奪う程合う辻褄 或いは目合いを以て営んでなんて目論んで居ないか」って言いきれちゃう椎名林檎がヤバい。そもそも虐待グリコゲンがヤバい。ギャンブルとか生み出してくれて圧倒的な感謝がヤバい。メロウもまたヤバい。警報音から始まるメロウヤバい。イっちゃってる感じがヤバい。「意識は希望に素直じゃない」ってヤバイ。けれども絶頂集は発育ステータスも中々、ヤバい。乙女の不安や憤怒の思いが爆発している発育ヤバイ。はいはいの歌詞の緩さがヤバい。光合成とかさっぱり意味が分からないのに格好良いからヤバイ。つまり絶頂集はヤバイッ!!
このブログはあくまで絶頂集の良さを伝えるブログです。
さて、私は一体何をやっているのですかね
加爾基 精液 栗ノ花は異常だ。
今日も日常の所作のように椎名林檎を聞いてる。久しぶりに聞こうと思った。加爾基 精液 栗ノ花を。2003年5月27日に発売されてたんですね。14年か。歳月人を待たず。今日の文章も中身はない。お暇な方だけお付き合い願いたい。
無罪、勝訴を椎名林檎を追いかけてきた私には加爾基 精液 栗ノ花は異常だ。まずタイトルが異常。
【漢字二文字+カタカナ】のセオリーを崩された。
そしてこれまた、ド直球の言葉で官能的表現をしてきもんだと。とは言え、活動休止からの復活一発目のアルバム。たかだかいつも通りのタイトルセオリーから外れたぐらい、CDのアートワークが雰囲気が違うぐらいでは動じるわけにもいかない。
心して待っていた。当時の椎名林檎のネットページを見てやつつけ仕事って曲があるけどこれはやっつけ仕事とは違う曲なのか?高揚した気分を覚えている。
そして発売日にCD買ってみたら、アルバム全部聞くのが辛かった。本当にショックだった。もはや今までの椎名林檎は居ないじゃないか。
なぜ椎名林檎は加爾基 精液 栗ノ花を作ったのか。何を目指していたのか。何を表現したかったのか。リアルタイムではさっぱり思考と思想がついていかない。当時アルバムを聴いた感想は「暗い」「沈む」しかなかった。我ながら、なんという感情表現に対する語彙力の無さ。当然ながらやや負の感情から始まる加爾基 精液 栗ノ花。絶対好き嫌い別れるよね。椎名林檎の作品っていうだけで聞き続けてはいたけれども。
椎名林檎の新しい音源と久々に再会した私が期待に裏切られるあの悲しさ。
あの頃の荒々しいく生々しい椎名林檎はもういない。
私は依存症やモルヒネやメロウが好きだった。
無罪も勝訴もとても良い作品だった。
甘酸っぱい無罪と大人になり始める勝訴。私はその両方を気分によって聞き分けていた。
そこに現る加爾基 精液 栗ノ花。これ、一体いつ聞けばいいのか。しかし椎名林檎は椎名林檎ではないかという葛藤。
嘆いてばかりいた。今でも初めてCDをかけて宗教が流れたことを今でも鮮明に覚えている。
え。一曲目から琴の音色?
ギターかき鳴らす椎名林檎は何処へ。
と思っていたけど。
実際は「加爾基 精液 栗ノ花めっちゃいいよね。」って平気で言うモラトリアム世代。
「あー。やっぱりわからないかぁ。加爾基の音楽性は難しいもんねー。私はいいと思うけどね」って言いだす始末。
当の本人も本当は良くは思っていない。
しかし、建前上椎名林檎の作品を否定するわけにはいかない。
というか当時15の小僧が加爾基 精液 栗ノ花の良さを初見から完全に理解し切れたらどう考えてもおかしい。
とりあえずグレッチで殴って欲しい。
なんのマウンティングだ。
今すぐ無意味な背伸びは辞めろと説教したい。
しかしながら、椎名林檎聞いてるような奴は大体早熟だ。背伸びしたい。背伸びしなくても加爾基の良さに気づく日は必ず来る。作品を消化できる日は来るって言いたい。
今思えば、あんなに歌詞カードをじっくりに見ながらCDをかけてたのは最後のアルバムかも知れない。アーティストの作る音楽を理解したくて、ジャケットを見て、フォントや文字の配列などでアークワークの雰囲気をつかみ、Special Thanksの所まで一文字も逃すことなく歌詞カード眺めながらCDを聞いてた。アーティストを。椎名を。加爾基を理解したい。の一点張りで。
今ではCDを買わなくてもYouTubeがある、Apple Musicがある。歌詞はネットに落ちてる。モノがなくても知れる。利便性が強くていい時代じゃないか。けれども、毎日毎日CDをわざわざプレイヤーに入れて歌詞カード開いて聞き、色んな思考を張り巡らせるあの感触は紛れもなく私にとって良い経験だった。
故に加爾基で離脱しないでずっと好きなのかもね。離脱した人も多いでしょう。新たな椎名林檎の女性としての性がここにはあった。今では加爾基 精液 栗ノ花は間違いなく名盤だと思ってる。最初から最後まで素晴らしい。歌詞も音色も表現の仕方がすべて素晴らしい。胸に刺さるワードが多い。
「隣の芝 青く見えたら出来るだけ睡るのさ」とか「頭が有れば要は簡単に片付いて」とか行動の心理を突くような言葉が好きだ。「憂き世に居た堪れない悲劇が溢れたとしやう 大人だから今日はまう唄ふ位 笑う位許してね 守るものは護るさ」とかとても好きだ。
暗くて明るい真理を描写する椎名林檎は表現方法を変えただけ。ただ、それだけ。
なぜ椎名林檎は加爾基 精液 栗ノ花を作ったのか。はこちらのブログを読むと宜し。りゅーまちさんのブログは私とは違う角度で書いております。
レディオヘッド(トムヨーク)論を唱えてるこちらもオススメ。
今だからこそ思うことだけど、無罪と勝訴であれだけ売れていきなりスタイルを変えて、自分が良いと思う感性について来れないようなリスナーは要らない。みたいなスタンスこそが私が一番求めていた『荒々しい椎名林檎』だとね( 'ω') 最高だね。